旅行者下痢症の社会的原因

2)旅行者下痢症の社会的原因

 日本や欧米諸国からの渡航者が、アジア、アフリカ、中南米などの発展途上国に滞在していると、下痢を発症することが多く、これを旅行者下痢症と呼んでいます。現地の住民には無害な病原体でも、それに免疫のない渡航者がかかると下痢を起こしてしまうのです。こうした病原体が飲食物に混入する様々な社会的な原因が、発展途上国にはあります。

大腸菌による下痢が大多数

 ヨーロッパで1980年代に行われた大規模な調査によれば、欧米からの渡航者が発展途上国に滞在した場合、1ヶ月で2割~6割が下痢をするとされています。これは日本からの渡航者についても同様で、海外旅行先で下痢を起こし、辛い経験をした方も少なくないと思います。
 旅行者下痢症を引き起こす病原体については様々な調査が行われており、半分以上は大腸菌が原因であることが明らかになっています。この大腸菌は「毒素原性大腸菌」と呼ばれる種類で、日本でも食中毒の原因になる「腸管出血性大腸菌」(O157など)とは異なるものです。「毒素原性大腸菌」で下痢をおこしても1週間ほどで回復しますが、2~3日はトイレから出られない状態になります。
 大腸菌以外ではカンピロバクターやサルモネラ菌など、日本でも食中毒を起こす細菌が旅行者下痢症の原因になります。海外で下痢というと、赤痢菌やコレラ菌など病原性の強い病原体を思い浮かべますが、こうした菌が原因になることはあまり多くありません。

どこから感染するのか

 旅行者下痢症の病原体は経口感染するので、発展途上国に滞在する際は飲み物や食べ物への注意が必要です。飲み物はミネラルウオーターや煮沸した水を飲用すること、食べ物はできるだけ加熱したものを摂取することなどが、予防のための重要なポイントです。食事をする場所も、衛生状態の良い店を選ぶようにしましょう。
 水道水は最も危険ですが、意外と忘れてしまうのが氷で、それが水道水から作られていれば、水道水を飲んでいるのと同じことになります。飲食店などで飲み物を注文する際には、氷を入れないように伝えてください。
 食べ物では果物に注意が必要です。カットしてある果物は表面に菌が付着している可能性があるので、食べるなら自分で皮をむいて食べる果物をおすすめします。イチゴは皮をむかずに食べる果物なので、とくに注意が必要です(図1)。
 現地の住民は、こうした飲み物や食べ物を口にしても、下痢をすることはありません。なぜなら、子どもの頃から病原体に感染しているので、免疫ができています。しかし、渡航者には免疫がないので、それを口にすると高率に下痢をしてしまうのです。

水道水が危険な理由

 では、発展途上国では、なぜ水道数を飲むと下痢をしてしまうのでしょうか。発展途上国でも町やその周辺には浄水場があり、そこで処理された水は殺菌されています。しかし、問題は浄水場から家庭や飲食店までの水道管にあります。
 まず、どこの国の水道管でも、“さび”などが原因で、その表面には小さな穴が沢山あることを知っておいてください。この穴を介して、水道管の内部は周囲の土と連絡しています。日本や欧米諸国では水道管内の圧が高いため、管内の水が周囲の土に少しずつ漏れ出ている状態です。一方、発展途上国では管内の圧が低いことが多く、穴を介して周囲の土から病原体が常時管内に侵入し、水道水を汚染しているのです。雨の少ない時期には、水不足で水道管内の圧がより低くなるため、病原体の汚染はさらに強くなります。

左手は不浄の手

 アジアの国でトイレに行くと、便器の横に水のでるホースが備えていることがよくあります(図2)。排便が終わったら、紙で肛門を拭くのではなく、このホースの水で肛門を洗うのですが、その時に多くの人は左手を使います。このため、左手は不浄の手とされています。排便後に手を良く洗っても、爪が伸びていたりすると、その中に便のかけらが残ってしまうこともあるでしょう。
 こうし習慣が問題になるのは、調理をする人の左手が汚染されていた場合です。下痢を起こす病原体の中には、赤痢菌のように微量でも感染を起こす種類があります。調理人が感染していると、左手に付いた病原体が料理を汚染する可能性もあるのです。このような事例が発展途上国ではよくあるため、日本からの渡航者には、出来るだけ衛生状態の良いレストランを利用するように勧めています。

旅先で下痢をしてしまったら

 このように発展途上国には下痢を起こす原因が数多くあるため、渡航者は予防対策を十分にとる必要があります。そして、旅先で下痢になってしまった時の対処法も知っておきましょう。
 まずは水分補給をしてください。できれば電解質や糖分を含んだ経口補水液(Oral Rehydration Solution、ORS)を飲むことをお勧めします。食事は下痢の程度によりますが、回数が多い場合は、食事をせずに水分補給だけにするのが良いでしょう。
 そして、下痢止め薬の服用を検討してください。2017年に国際渡航医学会(International Society of Travel Medicine)が作成した「旅行者下痢症の予防と治療のガイドライン」があります。これによれば、旅行者下痢症の治療として第一に挙げられているのが、下痢止め薬の服用です。日本国内で起きる下痢は別として、旅行者下痢症では下痢止め薬を飲むことが推奨されているのです。
 この準備として、旅行前に日本の薬局で下痢止め薬を購入し、旅先に携帯することをお勧めします。用いる薬剤は整腸剤程度の軽いものとし、血便や高熱があるような下痢では薬を服用せず、現地の医療機関を受診するようにしましょう。

 発展途上国には旅行者下痢症を起こす様々な原因があり、その頻度も高くなります。海外旅行を楽しい思い出にするためには、その予防法を学んでおくとともに、下痢をしてしまった時の対処法についても十分な準備をしておくことをお勧めします。