動物の生息域が変化している
5)動物の生息域が変化している~動物由来感染症への影響
クマの都市部への出現のように、最近は野生動物がヒトの居住域に侵入するケースが頻発しています。ヒトと野生動物の活動範囲が接近しており、これにともない、動物の保有する病原体にヒトがかかるケースが増加しつつあります。本項では、動物の生息域の変化にともなう、ヒトの感染症への影響について解説します。
野生動物とヒトの接近
環境省の発表によれば、2025年度は国内でクマに襲われてケガをした者が238人、死亡は13人と過去最多になりました。こうした事故の多くが市街地やその周辺で発生しており、クマが本来の生息地域である森の中からヒトの居住地域に侵入したために、多数の被害が生じました。さらには、シカ、イノシシ、サルなどの野生動物が市街地に侵入するケースも最近は増えており、この原因には、開発促進による森林減少や、気候変動で餌になる植物が減っていることなどが挙げられています。
こうした森からの侵入だけでなく、アライグマやハクビシンなど、市街地にもともと生息する野生動物も最近は増加しています。いずれも繁殖力の強い動物であるのに加え、市街地で餌となる生ごみが増えていることや、老朽化した家や空き地など隠れ場所がたくさんあることが原因になっています。
このように野生動物がヒトに接近する機会が増えることにより、動物が宿主であったり、媒介したりする病原体がヒトに感染するケースが増えつつあります。現在の日本の環境であれば、野生動物からヒトに病原体が感染する経路は次の二つが考えられます。
マダニなどを介する感染
第一に動物に付着するマダニなどを介する経路です。
25年は国内で重症熱性血小板減少症候群(SFTS)の患者数が増加し、過去最多となる191人が報告されました(図4)。原因としては、媒介するマダニが温暖化の影響などで増えたこともありますが(本ホームページの「気候温暖化の影響」を参照)、この病気のウイルスに感染した動物が、市街地近くまで侵入するようになったことも関係しているようです。
特にシカはSFTSのウイルスに感染しているケースが多く、それが市街地の近くにも生息するようになれば、それだけ患者数が増えてきます。さらに最近の調査では、アライグマもSFTSに感染している個体が多く、この動物を刺したマダニもウイルスを媒介する可能性があります。

糞便の水源汚染で起こる感染
第二に動物の糞便中の病原体が水源を汚染し、経口感染症をまん延させる経路です。
野生動物の腸管には数多くの病原体が感染しており、それを便とともに周囲に排せつします。市街地に侵入した動物が上水道の水源を汚染することもあるでしょうが、ほとんどは浄水中の塩素消毒により死滅します。ただし、寄生虫のクリプトスポリジウムは塩素消毒に抵抗性のため、水源が汚染されれば水道水を介した大規模な集団感染が発生します。
たとえば、1996年に埼玉県越生町で起きた水源汚染では、住民の7割に上る8800人がこの寄生虫に感染しました。クリプトスポリジウムは一過性の下痢症状を起こすだけで回復しますが、免疫機能が低下していると重症化することもあります。
野生動物の中でもシカはクリプトスポリジウムに感染していることが多く、市街地に侵入すると、その住民の利用する水源を汚染するリスクがあります。このような事態を避けるためには、水源付近への動物の侵入を防いだり、塩素消毒以外の浄水方法を取り入れたりすることが必要になります。
狂犬病のリスクは
もう一つ、ヒトが動物に接することでリスクの生じる感染症が狂犬病です。
狂犬病は哺乳動物に脳炎を起こすウイルス疾患で、発病すると致死率が100%に達します。感染した動物に咬まれたり、引掻かれたりして感染しますが、国内感染の患者は1956年を最後に、また、国内での動物の狂犬病も、1957年にネコの感染例を最後に発生していません。こうした状況から、現在、国内で野生動物に咬まれても狂犬病のリスクはありません。
このように日本で狂犬病が根絶できたのは、島国であるのに加えて、国内のイヌに狂犬病ワクチンの接種を義務付け、海外から入ってくる動物に厳しい検疫措置がとられたためです。しかし、最近は飼い犬へのワクチン接種率が低下しており、ひとたび国内にウイルスが持ち込まれると、それが再拡大する可能性があります。
さらに、最近はコウモリの危険性が指摘されています。この動物も狂犬病ウイルスの感染源になるため、今後、海外から飛来するコウモリが、このウイルスを国内の動物に感染させる可能性もあるのです。
台湾でも、一時、狂犬病の根絶宣言が出されていましたが、2013年に野生動物の調査を行ったところ、アナグマの感染が確認されました。今後、日本でも野生動物の狂犬病調査を行うなどして、侵入を早期に感知する必要があります。
アニサキス症増加との関連も
アニサキス症という海産魚を食べて感染する食中毒も最近国内で増えており、この原因にも魚類やクジラの生息域の変化が関係しています(図8)。
アニサキス症の感染源としては、サバやタラなど冬に捕れる魚が多かったのですが、最近はカツオ、アジ、イカなど春から秋の魚にも広がっており、その結果、患者が一年中発生するようになりました。こうした感染源の変化は、気候の温暖化により海水温が上昇し、日本近海の魚類の生息域が変わってきたことに由来すると考えられます。
さらに、アニサキスの本来の宿主であるクジラが、1980年代からの世界的な捕鯨制限により近年は個体数が増えており、それがアニサキス症の増加に関係しているとの指摘もあります。ヒトがクジラを食べてもアニサキスには感染しませんが、クジラが海水中にこの寄生虫の卵を散布し、周囲の海産魚の寄生率を高めている可能性があるのです。
今後、アニサキス症についても、動物の生息域の変化という観点から、感染対策を考えていく必要があるでしょう。

地球上では、ヒトも野生動物も一定の生息域を守りながら生活をしてきましたが、様々な要因によりこうした縄張りが破綻しています。その結果、動物の病原体がヒトに感染するケースも増えているわけです。本項では野生動物のヒト居住域への侵入という観点で解説しましたが、この逆のパターン、すなわちヒトが動物の生息域に侵入するケースも最近は増えています。その結果として生じた代表的な感染症が新型コロナと考えられており、この点は「現代のパンデミックの本質」のページで詳しく解説します。
